セラピーって!?
インナーチャイルドセラピーのドアをノックした私が最初に取り組みたかったこと。
それは、とにかく混沌と溢れかえった内側を整理すること。
個人セッションを1年3か月かけて行いました。
最初はとにかく喋る、喋る、喋る。
何に困り、何に不安で、何が悲しいのか・・・。
自分が混乱している為、要点がつかめず、
とにかく感じること、思うことをセラピストに知って欲しくて、伝えたくて、わかって欲しくて、思いつくままに喋る。
その為、セッションの時間が大幅に伸びてしまうこともありました。
↓それは、まさにこういう状態だったのですね ( ̄∇ ̄;)汗汗
でもきっと、それだけ必死でもあったのだと思います。
何だかはっきりとわからないけれど、私辛いんです。困ってるんです。
でも、知りたいんです。理解したいんです。
なぜ、長い間このような状況だったのか。
その問題の核に触れたいのです。
でもその方法がわからないのです。
当時の私はそんなことを伝えたかったのではないかと、今は理解しています。
と同時に、この時は必死だったね。よくやってきたね。
と、もがいていた自分に伝えたいです。
セッションでは毎回長年抱えていた違和感や、
当時感じていた行き詰りをテーマに、
インナーチャイルドワークを通して、
その核に触れていく感覚を掴む実践のトレーニングを受けていたのだと思います。
違和感や行き詰まりの感情(アダルトチャイルド)に触れ、対話が進んだ後に、
じわーっと涙がでることもあれば、
泣き崩れるようなこともありました。
やっとやっと、表に表すことができた・・・。
ホッとするような感覚。
時には、その違和感やいき詰まりの根本にあった誤解が解けた時も、
そうだったのか・・・。
そいうことだったのか・・・。と
新たな気づきと共に、ホッと涙を流すこともありました。
それらは幼いころ、大人に適切な形で保護されず、
しっかりと感じきれず、
内側でずっとくすぶり、抑圧し続けていた
感情(チャイルド)だったのです。
悲しかったんだよ。
悔しかったんだよ。
怒っているんだよ。
嫌だったんだよ。
そうなんだね。そうだったんだね。そんなことがあったんだね。
それはとても残念なことだったね。
ママが聞いているよ。
思い切り出していいよ。我慢しなくていいよ。
泣いてもいいよ。怒ってもいいよ
ママが聞いているよ。
長い時間、自分でもそんな気持ちがあったことすら忘れ、
置き去りにしてきた感情(アダルトチャイルド)に
身体の感覚を通して(フェルトセンス)耳を澄ませ、
一つ一つ救い上げて、感じて、誤解を解いて、事実を認知していく作業が、
「セラピー」なのだと、これまで体験、学んだことを思い返して、実感しています。
また、それらの感情(アダルトチャイルド)が安心して出てこれるように、
自分自身が自分自身の親となって、受け止めサポートできるよう、
自分自身の器を育てていくことが
とても重要だということも、日々のワークを通しても感じています。
この図はまさに、セラピーの様子について上手に表現されているな~と感じます
自分自身の混沌としたものを一つ一つ救い上げ、それが何なのか明確にしていく作業。
そしてセラピーを受けるにあたって、受ける側の意識についても、
大事だな思うことがあります。
それについて、これまで学んできた中でとても心に残っているメモがあります。
「私を100パーセント理解してもらうことはできない、
という前提で私が私を理解する、というところに
鏡としていてもらうのがセラピストである」
この言葉を 聞いた時、ハッ!!として、
急いでノートに書き留めたことを覚えています。
私は誤解していたなと。
誰の為のセッション、セラピーだったのかと。
私はここで、何の為に、何を受け取りたいのかと。
セッションで、目の前にいるセラピストに自分の人生を委ねることではいということ。
「私が私を知る」為に目の前にセラピストに鏡としていてもらうことが、
セラピーであり、セッションの目的であるのだということ。
甘えたくなったり、答えを教えてもらいたくなったり、
セラピストにもたれかかりたくなる時もあるかもしれません。
私自身にもあてはまります。
セラピストは自分のお世話をしてくれるお母さんではないということ。
その状況である間は、自分の人生の舵を自分が握ることはできないのだと、
自分事として感じています。
その時々の状況によっては、難しい時もあるかもしれません。
私自身、これからも同じことを無意識で繰り返す中で、
でもその度に、この理解を落とし込んでいきたいと思っています。
その為にも、やはり意識的でありたいと思います。
今日はこのへんで。
ありがとうございました(*^^*)
また次回~~。